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あの頃、読んだのは…… 創作力はどこから来たのだろうか? 

kamui2.jpg
雑誌ガロに掲載されていた「カムイ伝」この複雑な登場人物!


キブンと僕が一番夢中になったというか
衝撃を受けたのは、カムイ伝だった。
ガロと云う雑誌が特殊であまり堂々と見れず、こそこそ見ていたのを覚えている。

主人公が、首を切られてしまい。

「どうする」
「こんな凄い展開はないぞ」と、二人して興奮していた。

すると、実は主人公は双子だった、と来た。
二人して、かなりしばらく不機嫌だったのを覚えている。

「白土三平は死んだね」
「このオオカミが物語では、大事なんだ」とかになった。

そしてもう一つ、ちばてつやの「ユキの太陽」だった。
これは、アイヌ人と日本人の混血の少女の物語だ。
このユキに関しては、キブンと僕のその後に深く影響をしていると思う。

いま、キブンとの約束の様に小説を書き始めているが
書いていると、あの頃読んだこの二作品が今でも大きく影響を見せている。

キブンの作品(絵)はやさしい。
でも、根底に流れてる精神考えは違っていると思っている。
だから、あんな視線であんな光景を描けるのだろう。

プロになってからも、時々話すことは合っても
お互い変わっていない事に驚いたものだった。

しかし、アニメスタジオ(ゼロかその辺り)で話している途中で
スタジオの仲間が顔を出したことがあるが
キブンは随分大人のやさしい顔をして、微笑んだのを見た。

多分、僕はまだ影丸の様な顔をしていた筈だ。



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[2010/02/16 11:29] 時々、話したこと | TB(0) | CM(2)

創作力の源はどこで育ったのだろうか?  

iriguchi.jpg

時々、思う事に
あの頃、よくあんなに話す事があったと感心する事がある。

何かを見つけて、キブンと想像の話しをつくっていく。
僕は何かと常識はずれで脱線するが、キブンは想像の世界でも
なぜか冷静で淡々と想像をふくらましていた。

結果的には、想像の話しは僕の担当になりキブンはそれを絵で描いていた。
キブンの観察力は凄くて、エーそうだったということが多かった。
(これは、僕自身にその後ふかく影響した)

 「あの女の子、自転車のペダルに足が届いてなかっただろ」
 そのとおりだった。

 「あの店の時計は止まっているぞ」
 気づかない僕の方がおかしかった。いつも同じ時間にここを通ると思っていた。

 「さっきの冷やしラーメン、すこしあやしかったな」
 僕は腹をこわし、キブンと柳沢先輩は平気だった。食べたあとに云うなよ。
(一度だけだが、柳沢先輩とキブンとで冷やしラーメンを食べたことがあるのだ)

だから
NHKの番組では、キブンの松高時代がなくなっているが(こだわっている)
断じて、キブンも柳沢先輩も松高の美術部のあの頃に創作力を育てたと思う。

創作力の源はどこで育ったのだろうか?  は  つづきます。

[2009/10/13 11:53] 時々、話したこと | TB(0) | CM(1)

美術部の時間がなくなった? 

muma2.jpg
放課後など遊びに行っていた沼はこんなにきれいなところになってしまった。
キブンとまるで竜でも住んでいると話していたところだったのだが。

すっかり、このブログを書かないままだった。
前に、キブン(近藤喜文)の番組を作るのでNHKに同行して
松高に久しぶりに行ったことを書いたが
実はその番組では、まったく松高の美術部時代は無くなっていたのだ。

NHKのディレクターからは、取材はしたのですが
時間的問題でカットとなりましたと連絡は入っていた。

取材に同行した部分のカットはどうでもいいが、
松高の美術部時代がまるで無かった様になっていたのはショックだった。

キブンも僕も松高の美術部時代が
考えたり描いたり書いたり空想した原点だと思っていたのだが。
改めて番組でその部分は無いとなったのは辛かった。

最近、キブンとの約束を果たす為に小説モドキを書き始めている。
[2009/07/22 11:20] 番外編として | TB(0) | CM(0)

忘れられないシーン 

to.jpg

実は先日、松高を訪ねた。
地元新潟のNHKで、キブン(近藤喜文)の記念番組を制作するので
思い出の場所などを、取材がてら案内をした。

何年か前に松高の側は通り、懐かしく思ったことはあったのだが、
今回訪ねたら、何もかも昔の景色は無くなっていた。

学校の正門だけが、取って着けたように残してあった。
きれいさっぱり、何もかも変わっていた。

かなりシヨックで、しばらくこのブログも書く気がしない状態だった。

そんな時に思い出したことがある。
美術部の側に、吹奏楽部?ブラスバンドクラブ?があったのだが

一度、キブンがそこにトランペットがあるのを見つけ吹き始めた。

どこか、すこし壊れていのだがキブンは嬉しそうに吹いていた。
長身のキブンは何故か絵になり、感心して見ていた覚えがある。

今考えると、でたらめを吹き雰囲気だけを味わっていたのだろうが
放課後の夕日に染まって、カッコいいものだった。

後にも先にも、キブンが
あんなに我を忘れて楽しそうにしていたのは初めて見たものだった。
何を考えて、吹いていたのかは分からないが、何故か僕もいい気持ちで
ぼんやり、その側に座っていたのを思い出す。

そんな、部室の景色もなにも無くなっていた。

取って着けたように、昔の正門が残ってあったが
あたらしく、建てられた校舎は雰囲気も何もないつまらないものになっていた。

本当に、あの頃を思い出すのは目を閉じて耳をすますしかなくなった。
[2009/05/29 10:41] いま、ふり返ると | TB(0) | CM(0)

柳沢先輩(柳沢きみお)で驚いたことは多すぎる (2) 

sa.jpg
あの頃にこんな感じの進んだマンガだった気がする。

何と、柳沢先輩(柳沢きみお)の差し出したマンガは宇宙戦争ものだった。

キブンと僕は柳沢先輩はマンガを描いていることに驚き。
そのマンガが宇宙戦争ものだったのに2度驚いた。

宇宙船が光線銃などで、打ち合っているシーンを描いてあった。
そこにストーリーがあったのか良く覚えていない。

あの、のんびりとした松高と更にのんびりした美術部の日々の中から
宇宙戦争がどこから出てくるのか判らなかった。

まだ、スターウォ-ズのスも出ていない時でのこのマンガはある意味すごいことだったのかも知れない。

何か計り知れない、柳沢先輩をかいま見た気がしたものだ。

事実その後、柳沢先輩のデビュー作やヒット作、
そして最近の作品群は何かの枠で治まるものでない。

「柳沢ワールド」にハマる熱狂的なファンが存在する理由でもある。

とにかく、キブンと僕は、柳沢先輩には美術部時代からデビュー、そしてその後の作品群には驚かされていた。

まだ柳沢先輩が大学生で、マンガ家としてデビューする前?に
東京のアパートに遊びに行ったことがある。

今でも覚えていあるが、
柳沢先輩は親知らずかなにかの歯痛で顔をパンパンに腫していたが
キブンと僕に、わざわざ羊か?何かの鍋をごちそうしてくれた。美味しかった。

その時も何か描いているものを見せてもらった。
そこには、すでに宇宙戦争は描かれていなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  後で判ったが、スターウォーズではなく
  どちらかというと「宇宙戦艦ヤマト」風だったらしい。

  それと困ったことは
  柳沢先輩のデビュー作の「ズンバラビン」がどんな作品か見当がつかなく
  キブンとアレコレ話しあったのが懐かしい。
  もちろん、いまでも判らない。

  実際はデビュー作は「デワタン一座」らしいが、さらに判らない。

  2人にとっては、柳沢先輩は永遠に謎であった。







[2009/04/28 16:34] いま、ふり返ると | TB(0) | CM(0)
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